Chronology of World War II & the Nazis

1889

4月20日

アドルフ・ヒトラー誕生。

1906

3月19日

アドルフ・アイヒマン誕生。

1933

1月30日

ヒトラー内閣成立。

1935

3月16日

ヒトラー、徴兵制導入(ドイツ再軍備宣言)

1936

3月7日

ドイツ軍、ラインラント進駐。

8月1日

ベルリン・オリンピック開幕。

1937

11月5日

ヒトラー、軍幹部と外相ノイラートを集めた極秘会議で、対オーストリア・チェコ侵略戦争計画を語る
(のちにニュルンベルク裁判で会議文書「ホスバッハ大佐覚書」、発覚)。

1938

3月13日

ドイツ、オーストリアを併合。

9月29日

ミュンヘン会談でドイツ、チェコのズデーテン地方を獲得。

1939

8月23日

独ソ不可侵条約締結。

9月1日

ドイツ軍、ポーランドに侵攻。
9月3日にイギリス、4日にフランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦勃発。

1940

5月10日

ドイツ軍、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに侵攻を開始。

5月17日

オランダ降伏。

5月28日

ベルギー降伏。

9月20日

日独伊三国軍事同盟締結。

1941

6月22日

ヒトラー、バルバロッサ作戦を発動し、ドイツ軍ソビエト連邦に侵攻(独ソ戦)。

12月

日本が真珠湾攻撃を行い、アメリカ・イギリスに宣戦布告したことを受け、ドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告。

1942

1月20日

ヴァンゼー会議開催。

1943

7月25日

イタリアでベニート・ムッソリーニが首相職を解任され、逮捕される。

9月8日

イタリア、連合国に降伏。

10月13日

イタリアがドイツに宣戦布告。

1944

8月25日

連合国、ドイツ軍の支配からパリを解放。

9月9日

ブルガリアがドイツに宣戦布告。

4月16日

ソ連軍による、ベルリンへの砲撃開始。

1945

1月27日

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所解放。

4月30日

ヒトラーが総統官邸地下壕において自殺。後継大統領にカール・デーニッツ、首相にヨーゼフ・ゲッベルスを指名。

5月2日

ソ連軍によるベルリン占領。

5月7/8日

ドイツ敗北(連合国と休戦協定)。

8月15日

日本、ポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏。

11月20日

ニュルンベルク国際軍事裁判始まる。

1960

5月31日

アドルフ・アイヒマン南米ブエノスアイレスで身柄拘束。

1961

4月11日

アイヒマン裁判始まる。

1962

6月1日

アドルフ・アイヒマン絞首刑。

KEY WORD

アドルフ・アイヒマン(1906年-1962年)

1932年ナチス親衛隊入隊。1935年ユダヤ人担当課に配属され、ユダヤ人追放のスペシャリストとしてホロコーストにおけるユダヤ人列車移送の最高責任者を務めた。終戦後アルゼンチンで逃亡生活を送るが、1960年イスラエル諜報部(モサド)により連行され、翌年エルサレムにて裁判にかけられる。1962年、有罪判決により絞首刑に処された。

ユダヤ人問題の最終的解決

1942年1月20日、ハイドリヒ親衛隊大将を議長とし、ナチス高官15名(アドルフ・アイヒマンも参加)が招集され開催されたヴァンゼー会議にて、議論・調整を経て正式に承認された、ナチスドイツによる組織的なユダヤ人絶滅政策を指す。 アイヒマンはヴァンゼー会議にて議事録作成担当として出席し、ユダヤ人を強制収容所へ移送し、虐殺をする絶滅政策(=ホロコースト)の決定に関与した。

ニュルンベルク裁判(1945年11月20日-1946年10月1日)

第二次世界大戦においてドイツによって行われた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判。
史上初めての戦争犯罪に対する裁判で、「平和に対する罪」および「人道に対する罪」が問われ、12名のナチスの主要人物が絞首台に処された。

アイヒマン裁判(1961年4月11-1961年12月11日)

1961年4月11日よりイスラエルのエルサレムで開廷された、ホロコーストにおけるユダヤ人大量移送計画を指揮したアドルフ・アイヒマンの「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する罪」ほか15の罪を裁いた裁判。
ナチスの戦争犯罪はニュルンベルク裁判においても追及されてきたが、本裁判はナチスによる大量虐殺(ホロコースト)を集中的に取り上げる初の裁判となった。一般市民はこの裁判のTV放送、ラジオ中継を通じて強制収容所解放後15年以上も明るみに出なかったホロコーストを理解しうる貴重な機会となった。

ハンナ・アーレント(1906-1975)

ドイツ出身のユダヤ人でアメリカ合衆国に亡命した哲学者、思想家。
アイヒマン裁判を傍聴し、1963年、アイヒマン裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌に連載。アイヒマンの人間性を「悪の凡庸さ(陳腐さ)」と説き、当時物議を醸した。
同年「イェルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」として単行本化されたアーレントのレポートは、ホロコースト研究の最重要文献のひとつとなった。 彼女の半生を描いた『ハンナ・アーレント』(2012)はバルバラ・スコヴァ主演で映画化されている。